多様性を「慈しむ」 vol.4
長いひとり旅の途中、マレーシアの首都クアラルンプールでクリスマス・イブを過ごしたことがあった。国教がイスラム教なので、街全体がクリスマスといった雰囲気はない。それでも、レストランで、サンタの格好で汗だくになって(マレーシアは冬も暑いのです)客を呼び込む従業員を見かけることもある。
何となくレストランに入るのは気が引け、屋台で、おかずをご飯にのせた「ぶっかけ飯」を食らい、ビールを数本買ってホテルに戻り、ちびちび飲んでいた。テレビから、僕のパートナーが好きなマライヤ・キャリーのミュージックビデオが流れてきた。一時期流行った「恋人たちのクリスマス」。眺めていると、妙な感情が、じわじわと湧きあがってきた。なかなか、これといった表現が見つからないが、しいて言葉で表すなら「慈しみ」に近いだろうか。
交際歴26年になるパートナーがいる。僕は岐阜に住み、彼女は東京に住んでおり、長い期間、共同生活をしていないので事実婚とは呼べないらしい。よって、妻ではなくパートナーという呼び方をすることが多い。
「どうして結婚しないの?」
今まで100回以上は質問されている。一晩語り明かすくらいの時間があれば、のらりくらりと理由を述べるだろうが、「相手の家と結婚したいわけじゃない。」と答えた某作家のように、短くてわかりやすい理由は、僕には未だ見つかっていない。よって、たいてい笑ってごまかし、たいてい説教される。正直、面倒だなぁと思うこともある。
同じようにクリスマスの時期の質問も厄介だ。
「やっぱりクリスマスは、二人で一緒に過ごすの?」
彼女とは、もう20年近く、クリスマスを一緒に過ごした記憶がない。
「それって、つきあってないよね?」
これまた面倒な展開になる。
ヴォイストレーナーの彼女は、クリスマスは時節柄、いろいろな歌い手のケアで忙しいだけのこと。離れて暮らしてはいるが、互いに連絡を取り合い、スケジュールが合うときに会う。そうやって26年、彼女との時間を紡ぎ出してきた。普段は意識していないが、ふとしたきっかけで「慈しみ」のような感情を覚えることがある。クアラルンプールで過ごしたクリスマス・イブのように。
ちなみに今年のクリスマスも一人で過ごす予定である。
イシコ
女性ファッション誌編集長、WEBマガジン編集長を歴任。その後、ホワイトマンプロジェクトの代表として、国内外問わず50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動を行い話題となる。一都市一週間、様々な場所に住んでみる旅プロジェクト「セカイサンポ」で世界一周した後、岐阜に移住し、現在、ヤギを飼いながら、様々なプロジェクトに従事している。著書に「世界一周ひとりメシ」、「世界一周ひとりメシin JAPAN」(供に幻冬舎文庫)。
セカイサンポ:www.sekaisanpo.jp