新宿二丁目がゲイタウンになった理由をご存知ですか?
ゲイタウンの代名詞とも言える新宿二丁目。
僕はノンケなのでゲイバーに行く機会は、ほとんどないが、二十代の頃、新宿一丁目にある映像制作会社で1年ほど電話番のアルバイトをしていたので街自体には馴染みはある。とはいえ、当時、ゲイの概念はなく、ましてやアルバイトで通うようになるまで新宿二丁目がゲイタウンということも知らなかった青年にとっては刺激が強い街だった。新宿二丁目の公衆トイレで用を足している時に、中年の酔っ払いのゲイに抱き付かれたこともある。
「どうして新宿二丁目がゲイタウンになったんだろう」
ぼんやりとした疑問が沸きあがることも何度かあった。ただ、インターネットもない時代である。今のように疑問が沸いたら、ネットですぐ調べるという気軽さはなく、疑問だけ沸いてすぐに忘れてしまった。映像制作会社に出入りしていた映画監督に新宿二丁目へ連れて行ってもらった際に尋ねたこともある。
「それくらい自分で調べろよ。だったら上野も一緒に調べるといいぞ。あそこがゲイタウンの発祥と言ってもいいからな」
監督からそう言われたが、結局、僕は調べなかった。図書館で資料を漁ってまで調べる強い興味があったわけでもなかった。しかも、慣れない東京で日々、生きることに必死だったので、その疑問は記憶の引き出しに入ったまま長い時間が過ぎていた。
先日、戦後、左翼運動を取り締まっていた元警視総監で、その後、政治家になった田中栄一について調べていたら気になる事件を見つけた。
「1948年11月22日上野公園で視察中、男娼に取り囲まれ殴打される。(ウィキィペディアより」)」
そこで、ふと25年以上前、映画監督と飲んだ日のことを思い出したのである。すぐにネットで調べた。便利な時代になったものである。
上野は戦前から男娼が集まるゲイタウンだった。理由は簡単。東京で最初に栄えたのが浅草を含む上野界隈だったというだけのことだ。西郷隆盛の銅像あたりで組織的に男娼の客引きが行われていたという証言も残っている。
一方、新宿二丁目はというと戦前まで遊郭だった。つまり今のようにゲイの街とは真逆で女性を買う街だったのである。その街に戦後、手入れが入った。空き家になった遊郭の後に入り込んでいったのが男娼やゲイバーだったということのようだ。そこには田中栄一の男娼から殴打される事件も影響している。彼は上野公園を徹底的に取り締まり、夜間立ち入り禁止にまでした。追い出された男娼たちの一部は上野の街中へ、一部は新宿へ流れていった者もいる。時代は流れ、次第に交通の中心も上野や浅草から新宿に移っていったということのようだ。
25年越しですっきりした。
イシコ
女性ファッション誌編集長、WEBマガジン編集長を歴任。その後、ホワイトマンプロジェクトの代表として、国内外問わず50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動を行い話題となる。一都市一週間、様々な場所に住んでみる旅プロジェクト「セカイサンポ」で世界一周した後、岐阜に移住し、現在、ヤギを飼いながら、様々なプロジェクトに従事している。著書に「世界一周ひとりメシ」、「世界一周ひとりメシin JAPAN」(供に幻冬舎文庫)。
セカイサンポ:www.sekaisanpo.jp