「男はズボン、女はスカート」はもう古い?
中学校・高校と、私服の学校に通った筆者にとっては盲点だった。
「男はズボン、女はスカート」と制服は決まっていて、それが若いトランスジェンダーを苦しめている、という事実がある。
よくよく思い返してみれば、私服通学だった筆者の学校にも、絶対にズボンしか履かない女子がいた。当時は「女性らしい恰好(スカート)が嫌いなのだろう」くらいにしか考えていなかったが、もしかすると彼女はトランスジェンダー(心の性は男性)だったのかもしれない。だから私服の学校を選び、「男はズボン、女はスカート」の文化(制服)を避けたのかもしれない。
現代ではLGBTの理解も深まり、制服選択制の学校もあるようだ。朝日新聞デジタルによれば、福岡県にある女子校では、来年度から、「スカートまたはズボン」と「リボンまたはネクタイ」を組み合わせて使用可能になるそうだ。どちらか片方(たとえば、スカートとリボン)だけ使ってもいいし、両方買って気分や気候で使い分けるのもOKとのことだ。
これは同校の校長が地域の人権研修で性的少数者について学び、「当たり前だと思っていたことを見直す必要がある」と感じたのが契機となったそうだ。
日本人はそもそも、「男なんだから」、「女なんだから」と無意識で考えてしまうクセがある。だから同じ人間である、という前に、男女で区別して物事を捉えがちだ。たとえば、男性にしか使わない「女々しい」という言葉があるが、男が女性的な繊細な感受性を持ち合わせてなぜ悪いのか? メンタルの弱い男は、男として価値が低いのか? そんなことはない。なぜなら、それは個性だからだ。現代では、バリバリと仕事をこなす女性も増え、“強い女性”だっている。
時代は変わった。トランスジェンダーの認知も広まった。だが、心の性と身体の性が不一致であることの苦しみは、筆者にはわからない。想像することはできるが、体感することはできない。だから筆者も社会も、彼らの苦しみを察することが求められる。
文科省も2015年4月には、「性的少数者の児童・生徒全般にきめ細かく対応するよう」通知を出している。さらに今年4月には、小中高校の教職員向けに対応の手引を公表した。
そうした動きもあり、教育の現場でもLGBTの児童への対応も徐々に広がってきている。彼らが大人になる頃には、「LGBTだから」と差別するような人間がむしろ、“マイノリティー”と呼ばれる時代が来るかもしれない。つまり我々は、現在進行形で、明るい未来へと、ゆるやかに歩み出しているのだ。
<参考>
・朝日新聞デジタル「女子制服、ズボン選べる学校 「当たり前」見直した校長」
TODAY
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