性同一障害の彼はなぜ、21歳で殺されなくてはならなかったのか? 映画「ボーイズ・ドント・クライ」より
あえて、ここでは彼と呼ぶ。彼というのは、ブランドン・ティーナ。小さい頃から女性の身体を持つ自分に対し、違和感を覚えていた。カウボーイハットをかぶり、男の子の服を着て、ソックスを丸め、ズボンの中に入れ、女の子とデートをした。男として陸軍へ入隊を試みたこともあるそうだ。心配した母親が病院へ連れていくと「性同一性障害」と診断される。
20歳になり、隣町に移住する。誰も知らない場所で男として生きていくためだった。
映画「ボーイズ・ドント・クライ」は、そんな彼の生き方に惚れ込んだキンバリー・ピアース監督が忠実に半生を描いた作品である。監督はレズビアンを公言し、「人間は自分の欲求に正直に生きるべきである」という信念の元に、この映画を製作した。
ここから更に彼の半生を辿って考察していくので、まだ、映画を観たことがなく、ネタバレが嫌な方は、これ以上は読まないでください。
彼は刑務所から出てきたばかりのジョンとトムとも出会い、仲良くなっていく。そして、彼に恋人ラナができる。ラナはジョンの愛人の娘だったのだ。交際していく中で、当然、様々な問題が出てくる。ブランドンは性転換手術をしていないのだから、当然、生理だってくる。彼は雑貨店でタンポンを万引きし、ベッドの下にタンポンを隠す。性的欲求があっても、キスまでで止め、プラトニックに徹する。それでも男として生きていることを実感した彼は幸せだっただろう。
しかし、その幸せも長くは続かない。10代の頃に犯した罪が原因でブランドンは捕まってしまう。戸籍上は女性なので留置所では女性の牢屋に入れられてしまった。保釈金を支払いにきたラナはショックを受ける。彼は性転換手術待ちだといって彼女をなんとか納得させ、関係はかろうじて保っていた……はずだった。
その話を聞いたジョンとトムは裏切りだと怒り狂い、街はずれの工場に連れて行き、怪我を負わせ、レイプまでしてしまう。病院で手当てを受け、周囲から勧められるまま警察に被害届けを出すことになり、ジョンとトムは連行される。警察に告げ口したことに怒り狂ったジョンとトムは保釈中に彼を殺してしまう。
ブランドンは21歳という若さだった。なんともやりきれない話である。彼は性転換手術を受けていたら殺されずにすんだのだろうか。人生は変わっていたのだろうか。
強姦シーンなどもあり、日本も12歳未満保護者同伴推奨のPG-12を受けた作品で、世界中でレイティングシステムを受けたが、世界での反響は大きく、各地の映画祭で数々の賞を受け、主演のヒラリー・スワンクはアカデミー賞主演女優賞も受賞した。
ちなみにジョンとトムのモデルになった人物は、一人は死刑宣告を受け、一人は終身刑で今も刑務所に入っている。
「ボーイズ・ドント・クライ」
1999年/アメリカ/118分
監督:キンバリー・ピアース
出演:ヒラリー・スワンク、クロエ・セヴィニー他
第72回アカデミー賞主演女優賞受賞(ヒラリー・スワンク)

イシコ
女性ファッション誌編集長、WEBマガジン編集長を歴任。その後、ホワイトマンプロジェクトの代表として、国内外問わず50名近いメンバーが顔を白塗りにすることでさまざまなボーダーを取り払い、ショーや写真を使った表現活動を行い話題となる。一都市一週間、様々な場所に住んでみる旅プロジェクト「セカイサンポ」で世界一周した後、岐阜に移住し、現在、ヤギを飼いながら、様々なプロジェクトに従事している。著書に「世界一周ひとりメシ」、「世界一周ひとりメシin JAPAN」(供に幻冬舎文庫)。
セカイサンポ:www.sekaisanpo.jp